ちっち〜無職編〜

無職になった27歳女の日記。さぁどうする!

無職4日目

本日土曜日。

なんだか色々と走り続けてきて疲れてきた。

そんな日もある。まだ無職生活は始まったばかりなのだ。これからは長い。というわけで今日は小休憩。

まずは朝食である。

 

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今日は大好きな麻婆豆腐2日目である!

そして母親が作った餃子を昨夜ケーキを焼きに実家に行った際、コッソリ10個ほど包んでくすねてきた。おいしいものを彼にも共有したかったからだ。

(舞妓はんひいひい辣油と食べるマーラー油にポン酢を混ぜて食べたら絶品だった!発見)

 

この感情は素敵なものだといつも湧き上がるたびに思う。昔、誰かに教えられた。

おいしいものを食べたときに食べさせたい、と頭に浮かぶ相手を愛しているのだと。「あの人に食べさせたい」「あの人に見せたい」この感情が愛らしい。

そうか、たしかに。人間は共感の生き物だ。共有して欲しいエゴイズム。ただ、悪いってことじゃない気もする。愛は与えるものだから、押し売りも愛だ。それで相手が喜んでくれたら、なお良い。

 

今一緒に暮している彼とは、出会ってよかったと心から思う。今までどんな人と話してもしっくりこなかったが、一番話していて違和感がなく話が早い。

麻婆豆腐好きも一緒。お好み焼き好きも一緒。喜久福好きも一緒。(喜久福とは仙台のお茶屋さんが出している抹茶生クリーム大福である。私はこれを食べてほっぺが落ちる、という感覚が理解できるようになった)その時点でこれは運命では!と私はピンときたが、ほんとにそうだと感じている。私の鼻、優秀。直感ってあっているね、と歳を重ねる度に実感する。確かめ算みたいなかんじ。

 

良いことがあったとき、嫌なことがあったとき、話した後の反応も今まで出会って会話をしてきた生物の中で私の感情との違和感は最も少ない。

そんな人と出会えたことだけで人生にお釣りが来るほど幸福だと認識している。そして日々その幸せを実感している。

 

帰りたい家がある。

会いたい人がいる。

話したい相手がいる。

共有してくれる人がいる。

五体満足である。

死んでない。

 

解雇になったことを受けて他人から言われた言葉。「貴方が幸せなら…」私はもう幸せ。いつも幸せ。毎日幸せ。だからその段階は大丈夫。

 

愛することって素敵なことだ。

昔は裏切られるのが嫌だった。まぁ人間そういうものだろうけど。

主体的に考えなくてはいけない。客観など存在しないのだから。自分がいいならいいのだ。

 

だから、これからどうやって生きていこうか、考える。解雇もコロナも、いいタイミングだったと思う。

それはいいタイミングだったと思いたい願望から来ているのかもしれないが、そんなことはどうでも良い。

 

私は物事は起こった現象そのままでしかないと思っている。運がいい、悪い。意味がある、ない。そんなものは存在しない。ただたまたまそれがそこにあるだけ。それをどう捉えるか。人間はストーリーを作りたい生き物なのだ。生きる意味などない。でも、意味があると思わなきゃ生きていけない。だから、意味づけをしていくのが人生なのではないか?と私は思っている。

 

コロナを陰謀とみる人もいる。スピリチュアル観点からみる人もいる。ついてないと捉える人もいる。チャンスだとみる人もいる。見方は自由だ。

「客観的にみてみよう」という言葉がある。もう一度言うが、客観など存在しない。世界は自分が思ったようにしか見えていないからだ。

私の二つの目で目の前のことを捉えて、脳味噌でそれに色々と肉付けをして私の世界をつくり、私の世界が存在している。私はその私の世界を生きている。

だけど、それは私しか持っていない世界で、みんなそれぞれ違う世界をつくり、その世界を生きている。

だから、人々は同じことを話しているつもりでも、厳密に言えば同じことを話している人は存在しないのだ。同じ世界を生きていないのだから。

だから、話は食い違う。戦争も起こる。平和は存在しない。

 

違うから仕方がない。だから自分がいいと思うという価値観で生きていくこと、それがいいんだなと最近行き着いた。

まぁそれは私の世界の途中結果だ。今後変わるかもしれないし、日々研究、日々精進。成長しなければ退化するのみ。理性をもつのが人間。理性を持って、日々進化。

という無職4日目でした。(厳密には9日目に書きだめしていることは内緒だ)